2012年の夏、震災から1年4ヶ月が経ち、被災地の一つである岩手県の陸前高田を初めて訪れました。
まず道の駅 高田松原を見学しました。
ここは陸前高田の最も栄えていた通りだったそうです。今ではとても想像できません。
道の駅の建物の内部は廃墟になっていて、天井からケーブルが垂れ下がり、壁や柱はコンクリートが剥き出しになっていました。
海側から建物に入ると広い部屋と大きな壁があります。おそらく被災前は食堂だっただろう広い空間です。
海に対して平行なコンクリートの壁、15mくらいの正方形の壁ですが、津波の大きな衝撃でひびが入っています。まるでドラゴンボールの孫悟空が強い衝撃をコンクリートの壁に与えたようなひびです。そして、壁の上半分はぽっかりと抜け落ちています。
津波の想像を絶する衝撃が残した爪痕を見て、あまりに凄すぎて現実感がなく、映画のセットの中のように感じられました。
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次に陸前高田市民体育館を訪れました。
ここは大船渡の避難地区に指定されており、80人近くの方が避難されたそうです。
大きな津波が体育館を襲い、助かったのは3人だけだったそうです。
体育館のステージ側の壁は一面抜け落ちています。
体育館の中は、流された自動車やがれきで埋まっています。
ここで沢山の方が亡くなられたと思うと、本当に胸が苦しくなりました。
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20110414_25.htm
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その後、現地の方とワークショップを行い、三日間に渡り交流をしました。
現地の方をお話しをして、多くのことを学んだ気がします。
まだまだ復興は遠いと感じられているということ、
岩手県でも放射能を大変気にされているということ、
問題意識が高いこと
陸前高田と大きく括られることへの違和感
集落ごとのアイデンティティと地域への愛
高台移転が進まないことへのいらだち
防潮壁による海側に住みたいという気持ち
など気づかされたことが多かったです。
まだまだ自分の中で整理はできていないですが、じっくり考えてみたいと思います。