ゆとりSEですがなにか

忘れないようにメモしてます。

マルタ留学 最後

 マルタ滞在の最終夜、僕は風邪をひいてしまった。ひどい熱で全身から汗が吹き出した。悪寒と吐き気が止まらなく、がたがたと震えながら布団にくるまり、シーツとベットを汗でぐしょぐしょにしている僕は、誰がどう見ても病人だった。

 

 

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その日の昼間はコミノ島にいた。透き通る海と晴れ渡る空の下、ハンモックに揺られながらリゾート気分を満喫していたのに。状況は数時間で一変する。

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 時刻は最終夜の21時。Tシャツを変えるために起きた僕は、水をがぶ飲みする。このままだと脱水症状で死ぬかもしれないという危機感があった。二枚目のシーツがあったのでシーツも変える。シーツもびっしょりと汗をすっている。

こんなに症状が悪いのに風邪薬がない。マルタに来て数日でマルタ風邪という風土病にかかった僕は、常習的に薬を飲んでいたので、二日前になくなってしまっていたのだ。

 

 マルタ島に一緒に来た友人のN君は全く役に立たなかった。彼は「俺は、薬は飲まない主義だ」と普段から喚いており、当然旅行にも常備薬を持ってきていない。「大丈夫かよ。」と声をかけてきて、おろおろするだけだ。

僕もプライドがある方なので「いや大丈夫だ、寝てれば治ると思うから」と言い、具体的に薬が必要だとか、バナナがほしいなどとは言えなかった。

 最終的に彼は「あったかいものを飲んだ方がよい」と、唯一キッチンにあったインスタントコーヒーでコーヒーをつくってくれた。こんなに汗をかいている僕に、李陵作用のあるコーヒーを飲ますのか?と思ったが、僕は「ありがとう」と言った。だが飲む事はなかった。

 

 一晩ずっと汗と熱にうなされながら、5枚目のシャツを変えたころ、朝6時になっていた。

 

 実は翌朝の早朝の便で、イギリスに行く事になっていた。イギリスを5日ほど観光してから日本に帰ろうと考えていたのだ。

 7時、空港までの送迎の車が来る。この時までに治していたかったのだが、残念ながら体が言う事を聞かない。

 

 N君に「本当にきついから寝てるわ、先にイギリスに行っておいてくれ、なんとか治して、追いつくから。クレジットカードもあるしPCもネットもある。治れば何とかなると思うから。」と伝えた。

 

 N君は薄情にもそれを了承した。

 

 いや、N君は薄情ではない。俺がそれを望んでいた。しかし、実際に病状のベットで

「俺は先に行くわ」と言われた時の絶望感は精神的に来るものがあった。海外で病気になり、食べ物も薬もない状態というのは、なかなか怖いものである。実を言うと、これほどきつい症状は2年前のインフルエンザ以来経験していなかったので、死ぬかもしれない、とそんな考えが明方に頭の遠くを霞めていた。

 

 そんな精神状態だったので、(行くのかよ)と軽くつっこんでしまった。

 

 そこからは、あまり記憶がなく、気がつくと昼近かった。朝よりは体が楽になってきている。

 

 昨夜、熱屋にうなされながらも、語学学校で知り合った日本人の方に、フェエスブックのメッセージ機能を使って、薬をお願いしていた。その返事が明朝に来ており、薬をもらいにいく事になった。向こうはこちらのアパートメントを知らないので、学校で待ち合わせになった。彼女も今日出発ながら、時間を割いて薬を届けてくれた。非常にありがたかった。N君よりずっとありがたかった。

 

 薬を飲んで水をがぶ飲みし、また寝ているとなんとか回復してきた。夕方にはなんとか動けるようになったので、アパートメントの下のショップでバナナとチョコアイスと水を買い、食した。

 

 同時に、明日には動けるだろうと、航空券を予約し、明日中には合流する事をN君にメールし、また睡眠を取る事にした。余分に25000円かかってしまったが、自分の体調を考えれば最善の選択だったと思う。またN君にも余分な負担をさせずに済み、万事うまく言った。

 

 翌朝、なんとか元気になった僕は1日遅れでマルタを離れた。