ゆとりSEですがなにか

忘れないようにメモしてます。

潰瘍性大腸炎になった話

潰瘍性大腸炎という病気になった。

これまでの人生で大きな病気にかかったこともなく、自分はずっと健康だろうと漠然と思い込んでいた。

誰かが病気にかかったというような病の話はどこか他人事のように感じていた。

そのため30代という年齢で難病に指定されている病気にかかり、少なからずショックを受けている。その気持ちを書いておきたいと思う。

             ◯

潰瘍性大腸炎とは、大腸の免疫機能が異常を起こして大腸がただれて炎症を起こす病気である。

体に出る症状としては、下血、腹痛、発熱である。

2020年時点では原因・根治方法が不明のため国から指定難病に指定されている。

活動期(病気の症状が激しい時期)と寛解期(病気の症状が治まっている時期)を長期間にわたり繰り返すそうである。

寛解期は日常生活に特に支障はない。活動期は症状によっては絶食や入院が必要な場合もある。通院や食事制限で治療する場合もある。

日常生活では急な腹痛となるため、トイレの不安が常につきまとう。

安倍首相も同じ病気で、2007年に病気が原因で総理大臣を辞めている。医者から安倍首相も同じ病気と言われて、そういえばそんな病気に罹っていたなと思った。

             ◯

1年前から忙しい案件の担当になり仕事でストレスを抱えていた。

腹痛や胃痛の時もあり、内科で診てもらい、胃薬や整腸剤をもらっていた。

半年前ぐらいから下血が出ていたように思う。痔だろうと自己判断をしてあまり深刻に考えていなかった。腹痛の頻度は多くなっていた。

3ヶ月前くらいからは急な発熱で39度くらいまで上がることが1ヶ月に1度くらいあった。

その度にインフルエンザでてないかと病院に行くがウイルスは見つからず1日ほどで熱は下がった。

こんな頻度で熱が出るのはおかしいと思いつつ、体が疲れているのだろうかと考えていた。

案件は上手くいっておらず、さらに忙しくなり精神的なストレスが大きくなっていた。

年末年始に別案件のトラブル対応もあり、気が滅入ってしまった。

上司からは休職ではなく定時退社や有給で少し休んだらとアドバイスをもらっていたが、

起き上がることがしんどくなり、自分の身体を優先した方がいいという別部署の先輩のアドバイスを聞くことにし、休職することになった。自分が休職することになることは想像しておらずショックだった。

休職中に痔も診てもらおうと病院で診察したところ、内視鏡検査を勧められた。別日に内視鏡を行ったところ潰瘍性大腸炎がわかった。症状は軽度、中度、重度の3段階で中度であった。

潰瘍性大腸炎の説明を受け、これまでの下血や発熱に合点がいった。原因が判明し、その日はよかったと思っていた。

             ◯

それから服薬治療と食事療法が始まった。

潰瘍性大腸炎は食事の影響を大きく受けるらしく食事制限は重要となる。

考え方は大腸に負担をかけないことで、低脂質、低残渣(食物繊維を少なく)、低刺激が推奨されている。

この食事療法が想像以上にしんどい。

低脂質で豚肉や揚げ物がダメになる。また低刺激でアルコールやコーヒーがダメになる。

これまでどれだけ脂肪と刺激物を食べていたのか。食べたいもののほとんどが脂質で食べられなくなる。

そして、コーヒーとお酒が飲みたいのに飲めない。失って初めて気づくとはこのことだ。

本当に本当にストレスだ。

何も考えないと、うどんやおかゆばっかりになってしまう。。

そこから『潰瘍性大腸炎、レシピ』で検索し、病気向けの低脂質料理を覚えていっている最中だ。

             ◯

潰瘍性大腸炎、レシピ』で検索してレシピやブログを見ているうちに多くの人が潰瘍性大腸炎で苦しんでいることが分かった。

みんな食べたい料理を我慢しながら、この食事・食材は大丈夫か心配しながら食べている。

苦しみを分かち合うわけではないが、同じく頑張っている人がいると思うと少し気持ちが楽になる。

             ◯

病気になり、食事という自分の大切にしていた幸せを失ってしみじみ健康が大事だと気づく。

QOLが下がるとはこういうことだろう。何のために仕事を頑張ったのだろうと思ってしまう。

自分、家族の幸せのために働いていたはずが、仕事で体を壊し、幸せを失ってしまう。本末転倒だ。

早く寛解して、食べたいものを食べれるようになりたい。

寛解したら、何を食べようか。ラーメン、焼肉、ビール、日本酒、、