ゆとりSEですがなにか

忘れないようにメモしてます。

感染症、ウイルス、

はじめに

感染症とは、病原体(=病気を起こす原因)が体に侵入して症状が出る病気のこと。病原体には寄生虫、細菌、ウイルスなどがある。 人類はこれまで感染症に苦しめられ、戦ってきた長い歴史がある。

感染症と人類の出会い

初めに人類と感染症の出会いだが2つきっかけがある。農業と牧畜だ。

まず農業が始まることで定住がはじまり、村、町、都市が出来、人が集まるようになった。人が集まることで感染症は広がり人類に大きな影響を持つことになった。狩猟時代はムレで行動しており、感染症に発生しても全滅するのはそのムレだけであり、人類全体には影響がなかった。

次に牧畜が始まることで、人と家畜が一緒に生活するようになると、家畜の体にいる病原体が人間に移る確率を大きく上げた。

感染症と人間の戦いの歴史

感染症と人間の戦いの歴史を見ていくうえで、良い例としては天然痘という感染症がある。

天然痘の病原体は天然痘ウイルスだ。天然痘ウイルスの発生源はラクダではないかと考えられている。 感染経路はくしゃみなどのしぶきに含まれるウイルスを吸い込むことによる感染(飛まつ感染)や、患者の発疹やかさぶたなどの排出物に接触することによる感染(接触感染)だ。天然痘の症状は高熱、嘔吐、肌にブツブツができる発疹である。致死率は20~50%と非常に高い。

天然痘はエジプトのミイラにその痕があることから、5千年以上前から存在した感染症だ。初期の文献の記録としては4世紀頃のインドに記述が見られる。

日本には6世紀頃に中国、朝鮮半島を経由して持ち込まれた。8世紀の奈良時代には日本で大流行し全人口の1/3である150万人が死んだとされている。

16世紀にはコロンブスらスペイン人によってアメリカ大陸に持ち込まれ、先住民族の全人口の90%が死んだ。アステカ王国インカ帝国の滅亡の要因となった。先住民族には天然痘の免疫を持っている人がゼロだったのだ。

免疫とは何だろうか。天然痘に一度感染し治ると、体には抗体と呼ばれる天然痘ウイルスをやっつけるタンパク質が出来る。抗体を持つと以降は天然痘に感染することはなくなる。これが免疫と呼ばれる体の仕組みだ。

18世紀末、免疫の仕組みから感染症に対する予防策が発明された。それがワクチンだ。ウイルスの毒性を弱めたものを体に投与することで抗体を作る。抗体があれば毒性の強い本当のウイルスが体に入ってもやっつけることができるのだ。

20世紀、天然痘はワクチンの予防接種により感染者が減少し続けた。そして1958年WHOは天然痘根絶計画を立てた。感染者の周りにワクチン投与して拡散を防ぎ、ウイルスの孤立をさせる封じ込め作戦だ。そして1977年最後の自然感染例から3年経過した1980年に天然痘根絶宣言が出された。

天然痘は、感染症の中で人類が根絶できた唯一の例である。

天然痘について
病原体 天然痘ウイルス
感染経路 くしゃみなどのしぶきに含まれるウイルスを吸い込むことによる感染(飛まつ感染)や、患者の発疹やかさぶたなどの排出物に接触することによる感染(接触感染)
症状 高熱、嘔吐、肌にブツブツができる発疹
致死率 20%~50%

歴史から見る感染症が広がる速度

紀元前30世紀~10世紀。はしかという感染症が中東で発生して日本に伝播するまで4千年の時間を有した。 19世紀。コレラが全世界に広がるのに数年の時間が必要であった。 そして21世紀、現在流行しているcovid-19は、2019年12月に中国で発生してから全世界に流行しパンデミックを起こすまでに3か月間であった。

人類は経済を発展させ、ヒト・モノの移動を活発にした。その恩恵とは裏腹に、感染症の広がるスピードは、かつてないほど早くなったのだ。

時代 感染症 伝播する時間
~10世紀 はしか 4000年
19世紀 コレラ 数年
21世紀 covid19 3ヶ月

参考

https://www.yakult.co.jp/healthist/220/img/pdf/p02_07.pdf 知の回廊 第76回『コレラ・パンデミック ~疫病による英国都市の変容』 - YouTube

感染症が人類社会に与えた影響

ペストとルネサンス

感染症は社会構造や文化といった人間社会に大きな影響を与えてきた。 その例としてはペスト(黒死病)が挙げられる。

ペストについて
病原体 ペスト菌
感染経路 ネズミを宿主、ネズミからノミ、ノミからヒト、ヒトからヒト
症状 潜伏期間は 2 - 7日で、全身の倦怠感に始まって寒気がし、39℃から40℃の高熱が出る。種類に「腺ペスト」「肺ペスト」「敗血症ペスト」があり、リンパ節がはれあがったり、肺炎、敗血症による手足の壊死を起こし全身が黒いあざが出来たりして、死に至る
致死率 60%~90%

14世紀、ペストはヨーロッパで大流行し全人口の30%から60%が死んだとされる。 このペストの流行によって、大きな社会構造の変化が起き、ルネサンスという文化復興の始まり、そして中世という時代が終わったとされる。

まずペストの流行により、まずカトリック教会の権威が失墜した。どんなに祈ってもペストで人は死ぬし、教会の修道士たちが何もできなかったからだ。

次に封建領主も地位が低下した。ヨーロッパの封建社会では、封建領主が土地を所有し、農民から年貢を取り立てていた。しかし、ペストで多くの農民が死亡した。労働力不足から、農民に賃金が支払われるようになり、農民が相対的に力をつけた。

このカトリック教会、封建領主という2つの権力の失墜は、新たな社会に向かうきっかけとなった。中世の世界を支配していたカトリック教の教え、常識、世界観から、一定の距離を持つ人たちが現れ、ルネサンスという文化復興が始まったとされる。

コレラ上下水道

感染症は都市構造にも大きな影響を与えてきた。 その例として19世紀のイギリスのコレラの流行について触れたい。

コレラについて
病原体 コレラ菌
感染経路 ネズミを宿主、ネズミからノミ、ノミからヒト、ヒトからヒト
症状 潜伏期間は 2-3日。水のような下痢が1日20~30回も起こる。腹痛・発熱はなく、むしろ低体温となり、34度台にも下がる。急速に脱水症状で死に至る
致死率 治療を行わない場合は75~80%、治療を行えば1~2%

19世紀イギリスのロンドンのブロード・ストリートで大流行した。この地区だけで死者が616人にも及んだ。 医師であるジョン・スノウはコレラ患者の発生をドットマップとして地図に記載し、飲み水に使われていた井戸のポンプの位置を記載すると、あるポンプの近くて患者が多くいることが分かった。ここからスノウはそのポンプの飲み水がコレラの感染経路ではないか、と仮説した。そして、そのポンプを取り外させ、コレラの発生を収束させることに成功した。 f:id:yasuhiroa24:20200507180506j:plain

後の調査で、問題の井戸は汚水溜めの近く掘られていたことが判明した。コレラ菌は人の排泄物にも含まれており、コレラ菌が汚水から井戸が汚染されていたのだった。

1856年にイギリスの首都ロンドンで下水道工事が始まり、これにならってヨーロッパ各地やアメリカでも下水道が作られるようになった。コレラの流行によって、ヨーロッパ、アメリカの都市の上下水道の整備が進んだのだ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%83%A9%E3%81%AE%E5%A4%A7%E7%99%BA%E7%94%9F

人類が感染症に対する武器、抗生物質とワクチン

感染症の原因である病原体には寄生虫や菌やウイルスがある。

それぞれに対して人間は対策を見つけ出してきた。

寄生虫に対しては抗寄生虫薬、菌に対しては抗生物質である。これらは、寄生虫や細菌を殺すことができる薬である。1928年にアオカビから見付けたペニシリンが世界初の抗生物質である。

ウイルスに対しては、抗生物質のような直接ウイルスを攻撃する薬(抗ウイルス薬)よりも、ワクチンによる予防接種という対策が一般的である。

ウイルスに一度かかりなおると抗体と呼ばれるウイルスを攻撃するたんぱく質が人間の体の中にできる。これが免疫という人間の体に備わったシステムである。この免疫システムを利用して、ワクチンという毒性を弱めたウイルスを事前に体に投与し、抗体を先に作ってしまい、毒性の強いウイルスにかからないようにしてしまうという予防接種という方法を人間は生み出した。

18世紀、イギリスのワグナーという医師が、牛痘(牛の中でかかる病気。天然痘に近い)の膿を、子供の傷口につけて、発熱したがその後、その子供が天然痘にかからなくなることを発見した。 種痘と呼ばれる予防接種は一気に広まった。

抗体の記憶をリセットするはしか

はしかというウイルスには特殊な能力があることが分かってきている。 はしかウイルスは、その人間が持っている抗体を全て消去し初期化するのだ。 例えば、ある人が予防接種で黄熱病の抗体を持っていたとしても、はしかにかかってしまうと黄熱病の抗体はなくなってしまう。はしかにかかった直後の人は乳幼児と同じレベルの免疫しか持っておらず、他の病気にかかり重症化する例が報告されている。

人類がウイルスに対して、免疫システムやワクチンといった対策を持っているのに対して、ウイルスはその対策を無効化する方法を見つけ出しているのだ。

はしか(麻疹)について
病原体 麻疹ウイルス
感染経路 空気感染、飛沫感染接触感染。感染力は極めて強く、同じ空間に患者と居るだけで感染してしまい、マスクや手洗いでもウイルス侵入は防げない。
症状 潜伏期間は7 - 14日間。熱、発疹
致死率 0.1~0.2%

ウイルスとは何か

ウイルスは生物なのか

そもそもウイルスとは何だろうか。細菌との違いは何だろうか。

ウイルスは、遺伝子情報とそれを包むタンパク質の殻だけでできている。

あたかも宇宙船のようだ。

ウイルスは生物なのか、無生物なのか、学者のなかでも定義は揺れている。

細菌は培養液に入れると増殖する。細菌は培養液の栄養から自分の細胞をコピーして増殖することができるからだ。

ウイルスは、培養液に入れても増殖することはできない。ウイルスには細胞はなく、自分で増殖することはできない。

ウイルスが増殖する仕組みはこうだ。

細胞の中には、設計図(遺伝子)、エネルギーを作る発電機(ミトコンドリア)、タンパク質を増やすコピー機(リボゾーム)が存在する。通常、細胞は自分の設計図を使い、発電機とコピー機で自分のコピーを作り出す。

ウイルスはウイルス自身だけでは増殖できないため、動物の細胞に入り込もうとする。

その際、細胞の受容体と呼ばれる鍵穴とウイルスの殻の形が一致すると、細胞の中にウイルスの遺伝子を入れ込むことができる。 細胞の中にウイルスの遺伝子を入り込ませることに成功すると、細胞をだましてその遺伝子を使わせ、ウイルスをコピーさせるのだ。

細胞の中でコピーを大量に作らせ、ウイルスのコピーでいっぱいになると、その細胞を破壊し、外にウイルスが大量に放出される。

このようにしてウイルスは増殖を行う。

ウイルス進化論

ウイルスとは、生物の進化に不可欠な遺伝子を移動させる役割があるのではないか、と考える研究者もいる。

ダーウィン的な進化論では、生存に適した個体が子孫を残すことでその個体の特徴が次の世代に残り、進化が行われてきたと考えらている。例えば、キリンであれば最初は首が長くなかったが、首の長い個体は木の上のエサを取ることができて生き残りやすく、その特徴が次の世代に渡され、どんどん首が長くなってきた。

それに対してウイルス進化論では、感染症でウイルスが広がり、ウイルスによって遺伝子情報を運んだり突然変異を起こさせ突然にキリンの首が長い個体が生まれた、というものだ。 この仮説を補強する事実として、キリンの化石には、首の長さが中途半端なものが発見されておらず、ダーウィンの進化論では説明ができていない。

自然界には人類が発見もしていないウイルスが大量にあり、また無害なウイルスも大量にある。感染症の病原体として認識されているウイルスは、全体の中のごくごく一部なのだ。

ウイルスによる治療

近年では、ウイルスを病気の治療に用いる手法も研究されている。

https://youtu.be/VTzO-zVJmpg

インフルエンザの発生について

毎年流行するインフルエンザだが、そのインフルエンザウイルスの発生場所が調査により判明してきている。

インフルエンザウイルスは野生の野鳥の中に存在している。野鳥の中では特に悪さはしない。

野鳥が越冬のため、中国の南部、福建省当たりに来る。 福建省当たりでは養豚が盛んで、野鳥から養豚場の豚にウイルスが移動する。

養豚場は、豚が密集しており、一つのウイルスが、隣の豚、その隣の豚へと感染が広がる。ウイルスは自分の遺伝子をコピーしながら増殖を繰り返すが、その際、遺伝子の一部がコピーで失敗し、遺伝子の変異、ウイルスの変異が発生する。

野鳥の体温は、42°、豚の体温は39°、人間の体温は36°である。野鳥の中にいるウイルスは人間の体温では活動できず、鳥から人間には直接ウイルスは感染しない。しかし、野鳥から豚に感染し、豚の中で変異したウイルスは人間の対応でも活動できるものが生まれる。

鳥と人間の間の体温を持つ豚、養豚場という密集した環境、鳥と豚が接触する環境、こうした条件により毎年少し型を変えたインフルエンザが発生するのだ。

コーヒーブレイク

コレラ新選組

コレラ新選組の結成にも関係があることをご存じだろうか。 近藤勇が江戸の市ヶ谷で天然理心流の道場を開いていたが、コレラの流行で道場に門下生が一切来なくなり道場経営が立ち行かなくなった。 幕末に今の外出自粛ムードのような雰囲気があったのだろう。 そこに新選組の前身である壬生浪士組の募集があり、道場をつぶして壬生浪士組に参加した、という経緯がある。 たれればの話だが、コレラがなければ幕末の歴史も変わっていた可能性がある。

感染症と日本神道の起源の関係

感染症と日本神道の起源にも関係がある。 神武天皇が東征して、宮崎県から大和地方(奈良県明日香地方)に移動し大和の地を平定した。そのとき、もともと大和の地の豪族(物部氏)が信仰していた神様は排除され、天皇家が信仰している神様が大和朝廷にまつられた。(この神様とは三種の神器である八咫鏡(やたのかがみ)であろう。)

崇神天皇のとき、大和で感染症が流行った。仮説だが、この感染の原因が昔の神様をないがしろにしたことでは?、となり、三種の神器である八咫鏡(やたのかがみ)は大和の地から伊勢の地に移動された。これが伊勢神宮の起源である。 また夢のご神託で、大物主神の子孫の大田田根子(おおたたねこ)を見つけ出してまつれば立ちどころに疫病が終わる、とあった。そのため三輪山をご神体にする昔ながらの神様をあがめる社を作った。これが大神神社(おおみわじんじゃ)である。大神神社は日本の最古の神社である。

伊勢神宮大神神社という日本神道の成立にも、感染症が影響しているのだ。

詳しくは、下記動画を参照してほしい。 感染症の世界史02 中国仏教と日本神道の起源 - YouTube